2017年7月21日 (金)

117クーペのレンタカーでドライブしてみた

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先日いすゞプラザに行ったら、昔乗っていた117クーペにまた乗りたくなった。それで今日は117クーペをレンタルして奥多摩をドライブしてみた。

■117クーペ レンタカー(ISUZU SPORTS)
http://www.isuzu-sports.com/rentacar

マニュアル変速で、しかも4速の入りが渋くて、最初は戸惑ったが、じきに昔の感覚が戻ってきた。クルマを停めていると、通りかかったおじさんに「懐かしい、昔これに乗っていたよ」と話しかけられるのも、以前と同じだ。

マニュアル変速は小刻みにシフトチェンジが必要で疲れる。それにひきかえ、今のクルマは静かで運転操作が楽だし室内も広い。さらに燃費・安全・環境性能も良い。便利さ安楽さでは旧車は今のクルマにかないっこないのだが、それでもなぜか私は旧車に惹かれてしまう。自分でも不思議だ。

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維持費や手間などを考えると所有はためらってしまうが、たまにレンタルして乗る分には楽しいし懐にもやさしい。

クルマを手放した10年前には117クーペをレンタルして乗ることなど考えもしなかった。世の中は所有からシェアに向かっているようだから、旧車のレンタルもこれから当たり前になる可能性はある。

2017年7月17日 (月)

話題の「いすゞプラザ」に行ってみた

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トラック(商用車)メーカーのいすゞが4月にオープンした展示施設「いすゞプラザ」が近頃話題だ。今日17日に行ってみた。

■いすゞが「巨大ミュージアム」を開業したワケ(東洋経済オンライン)
http://toyokeizai.net/articles/-/180565

自動車メーカーの中でもいすゞは、私にとって思い入れのある会社だ。初代ピアッツァに3年、117クーペに7年乗った。いずれもジウジアーロデザインのスタイリッシュな車である。今はトラック専業だが、1993年までは乗用車も作っていた。

バブル崩壊後に業績不振におちいり、一度は倒産しかかった同社が、自社ミュージアムを持てるまでに復活した。元いすゞ車ユーザーとしてはやっぱり感慨深い。それで行ってみたくなったのだ。

施設1階は現行のトラックやバスなどが展示され、運転台にも座れる。いすゞは自衛隊にもトラックを納入している。防衛省仕様のトラックは濃緑色で武骨。運転台や荷台に乗ろうと、親子連れが長い列を作っていた。

1階展示の目玉はミニチュアカーが自動走行するジオラマ。落ち着いて見てみたいが、ここもすごい人だかりで諦める。

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2階は車作りのプロセスを体験学習形式で展示。ここも子どもたちでにぎわっているが、ゆったりと見ることができた。

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1枚の薄鋼板がプレス加工でドアになるまでを順送りで展示。

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プレス工程での用具類。

企画・設計やプレス、鋳造・鍛造、ライン組立など、モノづくりのプロセスがかなり詳しく紹介されている。大人でも十分に楽しいエリアだ。

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その奥では過去の車両を展示。それまでとは打って変わって、このエリアはガラガラだ。 その分おちついて見ることができるが。

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初代ジェミニ。カラシ色がおしゃれだ。

実は、いすゞが展示施設を作ることは以前から知られていた。私もそれを初めて耳にした時、どんな展示になるのかと思ったものだ。どちらかと言えば地味なメーカーである。人が集まるのだろうか・・・とも思った。

そしていざフタを開けてみると大賑わいである。単にクルマを並べるだけでなく、同社のクルマが社会でどんなふうに活躍しているのか、そしてどのように作られているのか、作り手はどんな思いで作っているのか。メッセージ性を重視した展示内容にしたことが、来場者の共感を呼んでいるように感じた。

早い話、「トラックに乗って働きたいな〜」とか「自分も工場でクルマを作ってみたいな〜」とか、思わずそんな気持ちにさせられる。良くできた展示だ。

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展示の最後は117クーペ。「ハンドメイド」と呼ばれる初期生産型だ。戦前・戦中は国策企業として発展したいすゞが、戦後の、しかも民需のラグジュアリー・カーを展示の最後に据えた。安定した日々の営みの中でこそモノづくりは開花し事業も伸びる、と同社は考えているのだろう、とその意味を勝手に深読みしてみた。

全体をゆったり見るには平日に予約して来るのがいいだろう。私も次回は平日に来てみたい。

2017年7月16日 (日)

高校アルバムを捨てるかで迷う。『ぼくたちに、もうモノは必要ない。』(佐々木典士著)

必要最小限のモノだけで生活する人をさす「ミニマリスト」は、2年前の流行語大賞候補になったという。ミニマリストの生活と意見を紹介するのがこの本だ。

大量消費社会に生きていると家の中はモノであふれる。消費に駆り立てられ、ありあまるモノにかこまれていると、意識は分散し、自分は本当に何をしたいのかもわからなくなる。だったらモノを手放してみよう。手放してみたら意外と普通に生きられますよ、と説いている。

モノを切り詰めて、例えば冷蔵庫がなくても、コンビニやスーパーでその都度必要な分だけ買えば問題ない。クルマはカーシェアで十分だし、書籍や写真はスキャンしてデジタル化すれば場所をとらない。モノがなくても大丈夫というのはそういうことだ。

インターネットや宅配サービス、コンビニ店などは大量消費社会がなければ発展しなかった。しかし今やそれらが社会インフラとなったことで、モノを手元に置かなくても、それほど不便を感じることなく生きられる。逆に、モノに囲まれる方がかえって不便(置き場所に困るし掃除が面倒)だ。

私もこの本を読んで、古本を中心に雑貨や服など段ボール3、4箱分を捨てた。まだまだモノだらけだ。ちなみに小中学校の卒業アルバムは以前、何の迷いもなく捨てた(いじめられっ子だったので良い思い出がない)。しかし今回、高校のアルバムはどうするか迷っている。

ちなみに著者は、学校のアルバム類を捨てた上で「見たい時には同級生に見せてもらう」ことにしたという。

2017年6月28日 (水)

【7/2都議選】小金井市選挙区・選挙公報を都道計画の視点で読んでみた

都議選の投票日が迫ってきた。自宅に選挙公報が届いたので、小金井都道計画の視点から読んでみた。

■小金井市選挙区・選挙公報(市選管)
http://www.h29togisen.metro.tokyo.jp/election/pdf/32koganei-pub.pdf


●漢人あきこ候補(無所属)

見出しに大きく「”はけ”と野川を壊す東京都の道路計画は廃止に!」と明記している。

●朝倉法明候補(無所属、共産推薦・自由応援)

「7つのお約束」の1つに「はけの緑と自然を壊す道路計画は廃止を」と明記。

●うちこが宏候補(無所属)

記述なし。

●広瀬まき候補(自民公認)

記述なし。

●つじの栄作候補(都民ファ公認)

記述なし。

(総評)
小金井都道計画について、選挙公報で一番大きく扱っているのは漢人候補だ。漢人氏は市民団体のアンケート調査でも明快に見解を述べている。

朝倉氏。「7つのお約束」で小金井都道計画は上から6つ目。多くの市民と市議会が計画の見直しを求めているのに、6番目というのは少し残念だ。

つじの氏は小金井都道計画について「熟慮する」と述べるのみで、詳細な見解表明を避けている。

都民ファーストの会は「小池新党」だ。小池都知事は昨年7月の都知事選アンケートで「この優先整備路線に位置付けることが不適切だと判断される場合には、必要に応じ、見直しを進めていきたい」と回答したが、その後1年近く経つにもかかわらず、必要なアクションを起こしていない。

仮につじの氏が当選しても、小金井都道計画をめぐっては小池都知事に追従することにしかならなそうだ。

広瀬氏の主張は総花的で、都道計画を白紙に戻すような胆力は感じられない。

■東京都議選に向けてアンケートを実施しました。(はけの自然と文化をまもる会)
http://hake-bun.blogspot.jp/2017/06/blog-post_21.html

■小金井都道計画問題で小池都知事に質問してみた
http://saitoh-madoka.cocolog-nifty.com/blog/2016/08/post-5589.html

2017年6月18日 (日)

過去・現在・未来、円環し重なり合う時間。映画「メッセージ」

巨大な宇宙船が突如、地球に同時多発的に現れるハリウッド映画。

その宇宙船の形がせんべい菓子の「ばかうけ」に似ていることもあり、ネットではネタ的に話題になっている。「でもハリウッドの宇宙船ものかあ。いかにも中身ゼロっぽいな」と思っていたけれど、実際に観てみると哲学的というか、奥が深いのですよ。謎解きみたいで最後まで集中して楽しめた。

ストーリーは省くが、宇宙人には時制、つまり過去―現在―未来という時間の流れがない、というのが作品の大きな特徴だ。それで文字は丸い輪っかの形をしており、水墨画のようでもある。円環のように時間がぐるぐる回っているようなイメージもある。

時間は過去から現在、そして未来へという一方向の流れがあるというのが一般的な時間の理解だ。ところが宇宙人にとって時間は過去・現在・未来が重なっている。だから宇宙人の言葉を理解することで人間も未来が見えるようになる・・・というのが、作品世界の骨格にある。

言葉は思考や世界観を体現している、との仮説があるそうだ。その説に従えば、宇宙人の言葉を理解すれば世界はそのように見える、というアイデアである。それで、映画を見ているうちに、「過去・現在・未来が重なり合う時間」が実在しているような気になるのが面白く、よくできているなあ、と思った。

もし本当に、現在の中に過去と未来が重なっているとしたら・・・。未来を選び取ることだってできるのではないか? 確か「君の名は。」にも似たようなプロットがなかったか。

だとすると、世界で同時多発的に「時制のない時間」というアイデアが面白がられる背景があるはずである。気候変動、資源の減耗、環境破壊、排外主義やテロの台頭などなど。文明、人類がこれからも危機を乗り越え、存続していけるのか。

もし過去・現在・未来が重なっているならば、未来のために今を犠牲にするのではなく、過去に縛られるのでもなく、「今を生きる」ことが、より望ましい未来につながっていくのではないか? そんなメッセージを作品から受け取った気がする。

2017年6月13日 (火)

都市に慣れるのはやめました

今日、仕事で都心に出たが、疲れた。そもそも雨模様の天気だったし、何より人の多さと都会の空気になじめない。理由もなくいらいらとする。帰りの中央線が信号故障で遅延していたのが追い打ちをかけた。

週休3日制にしてから、休みの日は山に登ったりサイクリングに行ったりもするが、家で好きな本を読みながらのんびり過ごしていることも多い。以前よりはゆったりと過ごすようになった。

都市部に出て疲れるのは、やはりせわしないからだろう。家にいるときとのギャップが大きい。引きこもりの人が外に出たがらない気持ちってこんななのか。違うかもしれないが、何となく分かる気もするのだ。

都市のせわしなさを刺激と感じて楽しめるのであればいい。けれども僕には人混みとか、都心の空気はやっぱり苦手だ。毎日のように都心に出ていればじき慣れるだろうが、無理して大都市のテンションになじむことはない、と割り切ることにした。

ところで都心部を走る電車内は広告であふれていて、全く落ち着かない。立っていても目線の高さに広告があって、いやでも視界に入ってくる。ぼけーっと窓の外を眺めることさえ難しいのには困ったものだ。

一方、例えば立川から西の中央本線の車両とかになると車内広告の量がぐっと減って落ち着く。その上ボックスシートなら、外の景色をのんびり眺めていられるので申し分ない。

2017年6月12日 (月)

見落とされる公助――『貧困クライシス』(藤田孝典著)

副題は「国民総『最底辺』社会」、帯キャッチは「もう誰も逃げられない 貧困が貧困を生む衝撃の現実」。おしっこをちびってしまいそうな迫力だ。

しかしこれらの言葉がハッタリや単なる脅し文句でないことは、本書を読めばすぐにわかる。所得の減少と雇用の不安定化で進んだ中流家庭の貧困化。長時間労働で疲れ切っているのに収入は増えない。家賃や外食費、医療費がかさみ、年金の支払いもままならない(低所得者には免除制度があるが、知らない人も多い)。

定年を迎えても生活費のために働き続ける人がいる。また、現役時代に貯金して老後に備えていた人でも、離婚や病気などをきっかけに貧困に転落していく。生活能力や近所づきあいなどを犠牲にして働いてきたために孤独におちいる人もいる。

全く救われない話だが、これらは個人の努力だけではどうにもならない、という点がポイントだ。『魂の退社』では「会社は卒業すべきもの」と説いている。それができる人はそうすればいい。セルフブランディングして自立して食べていければ、それもいい。しかし会社で働くしかない人もいる。

ごく単純に言えば、会社で働いて生計を立てている人を支える社会基盤が揺らいでいるのだ。自助努力は大事だとしても、それは責任の半分に過ぎない。社会として一人一人の生活をどう支えるのか、という問題意識が今の日本では弱いのではないか。本書を読んで強く思う。

例えば高い家賃を払わなくて済むよう、空き家の活用や家賃補助などが必要だろう。そもそも公的に住宅を保障するしくみが極めて弱い(公営住宅の抽選倍率を見よ!)。自己責任(自助)だけ問題にしても、結局は社会全体が疲弊し沈んでいくに違いないし、現に今そうなっているではないか。

社会保障の原資は税金だ。「貧すれば窮す」というが、安心がなければ自助もしようがない。誰もが安心して暮らせるような社会は自助やイノベーションの前提だ。そういう社会的合意がつくられていく必要がある、と思った。

2017年6月 2日 (金)

お金から「自由」になった人の境地――『魂の退社』(稲垣えみ子著)

図書館でリクエストしてから半年待ってようやく借りられた本。著者は元朝日新聞記者で、論説委員や編集委員まで務めた。著書で本人は謙遜しているが、キャリアを重ねてきたエリート記者といって差し支えないだろう。面白くかつ興味深かったので二度読みした。

トレードマークは、記者という堅い仕事にはいささかミスマッチなもじゃもじゃのアフロヘア―。アフロにしてから人にモテるようになったという。つまりは他人との垣根が下がったのだが、これが著者には「会社に依存しなくても人は生きていけるのでは?」との気付きのひとつになったのだそうだ。

アフロの話はさておき、大企業に勤めて高給を得るという「人もうらやむ」境遇にあって著者は、派手な消費を満喫する一方でこう考えた。このさき会社に依存したまま定年を迎えて、激減した収入を憂いるだけの老人になるのは嫌だ。社内の出世競争に敗れた時、それにわが身が耐えられるとも思えない・・・。

本書を読むと新聞記者の世界も壮絶なものがあると感じる。長時間の拘束、仕事ぶりの評価へのプレッシャー、同期が先に出世し、後輩の記者に追い抜かれる屈辱感、などなど。私も業界紙記者を逃げるようにして辞めたが、軟弱な私が3か月で音を上げたのもある意味当然のことだったなあ・・・と変なところで納得してしまった。

さて、にわか金満生活を「このままでは行き詰まる」と自省した著者は、香川への転勤などをきっかけに「お金を使わなくても幸せに生きられる」よう自己改造に着手する。有り余るモノに囲まれた今、「ある」ではなく「ない」ことの中に豊かさがある、と著者は気づく。

そして3・11と東電原発事故をへて、「電気があるのが当たり前」ではなく「電気はない(のが当たり前)」と視点をひっくり返し、少しずつ家電を手放していく。すると、それで不便ということはなく、それでも何とかなってしまった。「家電を手放して何とかなったように、会社を手放しても何とかなるのでは」。それで著者は50才を迎えて本当に会社をやめた。

著者が会社を辞めるまで、そして会社を辞めてから気づいた一連のことは、いわゆる「ダウンシフト」や「ナリワイ」と大きく重なる。経済成長と大量消費が行き詰まった今、会社でやりがいのある仕事ができる保証は限りなく低くなっている。この認識は鋭い。

会社は自分を成長させてもくれるけど、いつかは会社を卒業しなければならない。会社は一人の人間として生きていく力を身に着ける修業の場であって依存対象ではない、と著者は考えている。これも、ごく真っ当な認識だろう。

では人はなぜ安定を求めて会社で働くのかというと、結局のところそれは金に支配されやすい人間の弱さのゆえだ。しかし著者は、「お金は追い求めると逃げていくが、お金のことなどどうでもよくなると、お金の方から近寄ってくる」と言う。

この気づきは面白い。お金から自由になるとは、蓄財ではなく、生き抜く力を身に着けるということだ。つまりそれは家事をしたり世間話をしたり家の修繕ができたりとか、全く違う業種に好奇心を持って飛び込んで行ったり。それらをフットワークも軽く出来ているとき、人はお金から自由になっている。

ここに本書の普遍性がある。エリートのダウンシフトという限定した話ではない。人生とは、ロールプレイングゲームで主人公が経験値を高めていくように、いろいろ経験して生き抜く力を身に着けることなのだ。

2017年5月24日 (水)

みんな普通に休んでる

今日は奥多摩の大岳山に登ってきた。御岳山ケーブルカーで上がって6時間。静かな山歩きを満喫した。

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ぐんぐん上る。

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右側のピークは日の出山。

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樹齢千年のケヤキ。

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ぬぼーっとした狛犬。

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標高1267m。これから長い尾根下りがはじまる。

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ふもとが近づいてきた。

しかし誰もいなかったかというとそんなことはなく、平日でも山歩きを楽しんでいる人は意外といる。中高年の人はもちろん、若い人もだ。ふもとからはバイクの音が聞こえる。ツーリングを楽しんでいるのだろう。カヌー教室にも人がいた。

実のところ、週休3日制で平日に休みを入れることに、どこか後ろめたさを感じていたのは事実だ。ところが、こうして平日に山に来てみたら、同じように山歩きやバイクや川遊びなど、休みをエンジョイしている人が結構いるではないか。

なあんだ、平日に休むなんて別に普通じゃん。それでも平日の行楽地は人が少ないから人混みに煩わされずに楽しめる。休むなら土日もいいけど平日ですよマジで。みんなもっと気軽に有給休暇を取るといいと思う。

2017年5月23日 (火)

週休3日制で変わったこと(その2)

昨日の続き。

●妄想する時間が増えた

仕事に直結しないことで、「あれが出来たらいいなあ」「今度はどこそこに行ってみよう」「次の休日は庭の手入れをしようか、積んでおいた本でも読もうか・・・」というふうに、とめどなく考えを巡らせる。すると顔がニヤけてくる。緊張が和らぎ、いい感じでゆるんでいる兆候だ。そんな時間が以前よりは確実に増えた。

仕事のことばかり考えていると、どうしても「そのネタは記事になるか」「今月の売上はいくら」というふうに考えが傾きがちだ。視野が狭まっているのだ。まるでカネのために生きているみたいで、本末転倒である。

一方、妄想していると、判断の基準が「まず自分が楽しいか、やりたいと思えるか」にシフトしてくる。これが行動の動機になる。「売上目標必達するぞ!」と自己暗示するよりも、はるかに健全で健康的だ。

さて、こうして見てみると、私のフリーランスの10年、というか私のこれまでの人生がいかに「〜しなければならない」「〜すべき」というような「型にはめる」考え方に縛られていたかと思うのだ。

フリーランスは好きで始めた仕事だったはず。いや、「好きを仕事にする」はずが、「稼ぐために仕事する」に堕落していたのか。いずれにしても、自分の中の「好き」を置き去りのまま来てしまったのは間違いなさそうだ。

そしてこうも思うのだ。「好きなことなら寝食忘れる」というが、生活をおろそかにしたところで「好きに没頭」もあったものではない。たっぷり寝て、生活を楽しむ余裕をキープした上での「好き」ではないかと。

これは自分でも少し驚く結論なのだが、「好きを仕事に」もたいがいにせい、ということなのかもしれない。

«週休3日制で生活に「ゆとり」が生まれた

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