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2016年1月14日 (木)

観察映画の面白さ

想田和弘監督の最新作となるドキュメンタリー映画「牡蠣工場(かきこうば)」が2月下旬に公開される。

想田監督といえば「観察映画」。
観察映画とは、当たり前の演出手法として定着しているナレーションや効果音、CGなどを一切行わないだけでなく、目の前で起きていることを虚心坦懐に「観察」する姿勢に徹していることが特徴だ。

リサーチや打ち合わせ、台本はなし。だから予定調和はない。でもこれは商業作品としては野心的というか実験的な試みである。

観客は得てして作品に何がしかの納得やカタルシス、オチを期待するものだが、それは予定調和の物語をつくり手と観客が共有して初めて成り立つ。

無論、そういう作品が一般的だし、そうして作られた素晴らしい作品はあまたある。物語が一般的にいけないのではなくて、物語の世界観を共有することは映画の楽しみだ。

ところが観察映画はそうではないので、フツーの映画を見る感覚で見てしまうと裏切られる。
早い話、見始めてすぐ眠くなる。
一見、観察映画は淡々とした映像が流れているだけだからだ。

だから観察映画は昼食後とか飲酒後とか、疲れきっている時に見ることを私はおすすめしない。十分に睡眠を取って心身を健康に保ち、例えば昼食後の際には昼寝した後に見ることをすすめる。

そうして十分にコンディションを整え、「さあ、この作品は何を観察したのだろう?」と自らの観察眼を起動することが重要なのだ。そうした眼で観察映画を見始めると、そこには日常の中に見落としがちな、いろいろな気付きが詰まっていることがわかる。そうした「気付き」の発見が、観察映画の「面白さ」といえる。

例えば過去の作品「選挙2」には、東電原発事故後まもない選挙なのに、誰も候補者が原発事故や被ばくについて正面から語ろうとしない。その違和感がしっかりと記録されていた。

無論、映像の編集過程には監督の主観が介在し、しかも映像における観察の視点は監督の視点であることはまぬかれない。つまり観察と言っても、純粋に客観的な視点というものはあり得ないということを、観客は理解することができるだろう。

とはいえ、それでも目の前の現実を余計な演出なしにありのままに見せようという姿勢は極めて公平である。それだけに、監督の観察の視点もまた鋭いということができる。

決して一般受けする作品ではないし、観客の観察眼が起動しないかぎりひたすら退屈な作品とも言えるが、映像と編集そのものは洗練されている。とりわけ「牡蠣工場」は瀬戸内海の漁村の美しさが印象深かった。

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