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2016年2月19日 (金)

何もしないためなら何でもやる

すごいブログ記事を見つけた。

■保育園の第一志望受かったけどやっぱり日本死ね
http://anond.hatelabo.jp/20160218153103

保育園に子どもを入れるために、妊娠中から夫婦で「保活」(子どもを保育園に入れるための活動)に励んだ経緯が書かれている。

都市部、とりわけ都内は認可保育園が不足しているという。
そこで子どもを無事に入園させるため、様々な裏技を駆使して条件を有利に持っていくのである。そこまでやるかという感じだ。

それにしても行政の機能不全ぶりがここまでとは、と驚愕せずにはいられないのだが、私が記事を読んで思ったのは、保育園不足をめぐる状況もまた「何もしないためなら何でもする」の一例なのかも、ということだ。

「何もしないためなら何でもする」とは、3・11後に語られるようになったネットスラングのような言葉だ。問題を根本解決することを徹底して忌避する日本の社会構造を皮肉る時に使われる。

行政は、認可保育所の不足を手当するための抜本的な措置(国の予算を増額する、保育士の給与をアップする、など)を講じず、点数制度で入園順位を序列化させる。この時、努力はもっぱら行政よりも入園希望者がするものだという「自己責任」の論理が貫徹される。

一方、入園希望者は裏技までをも駆使して涙ぐましい努力を保活に投入する。「クソな行政」に対する市民の自衛策だが、じつはこの時、保活せざるを得ない枠組みそのものは受動的にではあるが「受け入れている」。それはブログ記事の最後の方、

「この手の話題になると選挙行けとかしたり顔で言い出す頭でっかちのバカがいるけど、夫婦の2票で何か変わるのか?何も変わりゃしねえよ!」

という言葉(叫び?)に端的に表れている。
「変わらない日本」という枠組みを、文句を言いつつも受け入れ従っている、「よくある」市民像が見えてくるのだ。

でも「変わらない日本」を作ったのは、実は「文句言いながら実は枠組みを受け入れている、従順な」私たち一人ひとりだし、そこには必ず責任があるはずだ。クソな日本の行政サービスも、そんな私たちの程度に見合ったものだろう。

ところで、ブログには

「デモやれって?普通に行政サービス受けるために警察にマークされてネットで叩かれて仕事失うリスク背負えってか?自分の生活が壊れるじゃねーか。意味ねえよ。」

という一文もあったが、デモを主催したこともある自営業者の私に言わせれば、これは正確ではない。デモに行っても仕事は失わないし、生活も壊れない。ネットで叩かれるリスクは「日本死ね」とブログで書くのと多分それほど変わらない。デモを通じて得られる人間関係が、何かのセーフティーネットになる可能性もゼロではない。

そう考えると、このブログの書き手も「何もしないためなら何でもやる」一人なのかも知れない、と私は思った。

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