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2016年2月 5日 (金)

適当な時期に死ぬ義務って何

作家の曽野綾子氏がまたまた「暴言」である。

週刊ポスト誌で「高齢者は適当な時期に死ぬ義務がある」とぶち上げたようだ。
それで、記事の小見出しには「権利を『求め倒し』、医療を『使い倒し』、他人を『頼り倒す』老人は浅ましい」だと。

「言いだしっぺのあなたがまず見本見せたら?」としか思えないのだが、それにしても毎度の「炎上商法」とはいえ呆れる。

曽野氏の別の「暴言」を引き合いに記事を書いたこともある。

・「介護人材不足を外国人移民で補う」との発想は「安易」と現場の声
http://hbol.jp/30062

中には寝たきりになって何年も病床で過ごして亡くなる高齢者もいて、それはそれで問題だが、だからと言って「死ぬ義務」とは。

「寝たきり確定になったら自分で安楽死してください」ということなのか。

確かに、「いくらでも生きたい」は理想だが叶い難い、傲慢である、という曽野氏の主張は当を得ているところもあるとは思う。

また、生きがいも見いだせず、楽しみもなくただ余生を送るとしたら不幸だ。それに、そうした余生を送れるだけの社会的な余裕も失われつつあるのかもしれない。

しかし、例えば「生きがい」一つとってみても、それは個人の内面の問題でもあって、他人が与えるようなものではない。

それに、「死にたくない」と人が願うのは当たり前であり、それを理性でねじ伏せるとしたら、そこにはきわめて大きなムリが生じるのではないか。

曽野氏はその領域に土足で踏み込み、上から目線で「こうしなさい」と言っているようなもの。ひたすら押しつけがましい。しかも言葉に重みがない。本人が本当にそうしているかどうかはわからないので、説得力がゼロなのだ。

「他人に変化を望みたいなら、自分がその変化を生きなさい」と言ったのは誰だったっけか。曽野氏にはぜひ言った通りにしてもらいたいものである。

※今日発売の雑誌「週刊金曜日」(2月5日号)で記事を書いています。
「高浜原発再稼働 電気料金値下げ急ぐ関電『原発ではない電気選びたい』」(金曜アンテナ欄)です。書店でお求めください。

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