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2016年12月

2016年12月31日 (土)

電通は本当に「社員ファースト」になれるか

新入社員が昨年12月に過労自殺した電通。同社は過去にも過労死や過労自殺が起きている。社訓「鬼十則」に代表されるブラックな社風が明らかとなり、今週28日には同社社長が引責辞任の意向を表明するに至った。

■ノミネートの電通、関電ほか「コメントしない」――今年最悪のブラック企業は?(週刊金曜日)
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20161221-00010000-kinyobi-soci

電通は今月1日、今年のブラック企業大賞のノミネート企業に選ばれた。私はノミネート発表の当日、これへの見解をただすFAXを電通に送ったところ、1時間そこらで「コメントしない」旨の返信FAXが届いた。

そして23日、電通はブラック企業大賞を獲得。23日は祝日だったため、週明けの26日午前、大賞受賞へのコメントを求めるFAXを再び電通に送った。また間を置かずに「コメントしない」と返事が届くだろうが、一応見解をただしておきたかったのだ。

ところが翌27日になっても音沙汰がない。どうしたのだろうと思い電通に電話すると「本件は後ほど、広報部から回答する」とのこと。

昨年まで大手メディアはブラック企業大賞に対して黙殺同然の扱いをしており、ニュースになることはほとんどなかった。ところが今年はNHKが電通の大賞受賞をTVで全国的に報じており、同賞への社会的関心が高まっている。電通が神経を尖らせていることがうかがえた。

そして28日夜、電通が会見。この中で、過酷な労働環境について「過剰なクオリティ志向」などに原因があるとし、ブラック企業大賞受賞に関しても「謙虚に受け止めて私達の反省の材料にしたい」(石井直社長)と言及している。

■電通の石井直社長が辞任表明 高橋まつりさんの過労自殺問題の責任を取る(ハフィントンポスト)
http://www.huffingtonpost.jp/2016/12/28/dentsu-kaiken_n_13868800.html

なるほどこういうことだったのか。ともあれ、年内最終営業日の夜に会見をぶつけてきた電通の危機管理能力はさすが、というしかない。同社からすれば、年末年始をはさむことで、ブラック企業大賞受賞や書類送検にともなう大きな逆風をある程度、沈静化させることが期待できるからだ。

それにしてもなぜ電通は、こうした危機管理能力の高さを社内の過重労働対策に振り向けることが出来ないできたのか。そこには組織を優先し、組織を防衛する論理が強く働いているにちがいない。

同社は今後、「社員ファースト」をめざすという。しかし「組織の論理」に手を付けられないままでは、「社員を酷使して死者が出た」従来から、今後は「社員を死なない程度に酷使する」位にしか変われないのではないか。どちらもゲンナリだ。

2016年12月25日 (日)

私も「1文字1円」の仕事をしたことがあった

クラウドソーシングでライターに執筆依頼して、コピペ同然のゴミ記事を量産するキュレーションサイト。そこでは、1文字1円という恐るべき単価値崩れが起きている。

この問題は、先日のDeNAの医療情報サイト「ウェルク」の休止を発端に広く社会的注目を集めたわけだが、じつは私もかつて何年か前、同様の単価でウェブ記事を書いていたことがあった。

もちろん昨今のキュレーションサイトなんかではなく、しかも私はきちんと取材して書いていた。執筆先のサイトは、環境や持続可能性、社会起業といった方面の最新の話題を世界中から紹介しており、そのコンセプトは当時としては極めて先進的だった。

しかもITをはじめ世の中の最新動向に敏感な若い世代の目線を意識したコンテンツ作りは斬新で、私もぜひ記事を書きたいと思い、ライターに応募して採用されたのだった。

しかし原稿料が低かったのだ。そのサイトは前例のない意欲的な試みを行う中で、当時はビジネスモデルを確立するのが難しかったのだろう、と今にして思うのだが・・・。

私はサイトの志を意気に感じ、コンテンツの水準に劣らない記事を書こうと努めた。一方で担当編集の要求水準は高く、入稿しても書き直しを求められることが何度かあった。

そんな折、月末に請求書を作成して私はわれに返り、愕然とした。あれだけエネルギーを傾けて何本も入稿したのに、たったこれだけしか稼げていない・・・。

当時の請求書を見返すと、中には1文字1円程度の原稿も。仮に1記事2千字として、10本書いてもたった2万円! いくら何でも、これはライター専業の仕事としては続けられない。原稿料の低さは納得していた自分だったが、そんな風にして気持ちがポッキリと折れてしまったのだった。

無理はどこかで破綻する。理念で逆立ちしても飯は食えない。しかも、極端に単価の低い仕事を受けるとそれが前例となり、今まさに進行しているライター業界全体の値崩れにつながる。この出来事を教訓に、以来、私は単価の低すぎる仕事はしないようにしている。

2016年12月20日 (火)

傾聴カウンセリングを受けてみた

「傾聴カウンセリング」というものを受けてきた。

カウンセラーさんにひたすら話を聞いてもらうのだが、傾聴とあるように、カウンセラーは話へのアドバイスや価値判断はしない。傾聴~のことは前から知っていたが、こんかい機会があったので受けてみたのだ。

普段思っていてもなかなか話しにくいことってやっぱりある。
「それを言っちゃおしまいよ」みたいな。
生きていれば口にするとたちまち断罪されたり説教されたりしそうな話はあるものだ(大げさ?)。

そういう話を聞いてもらった。
何を言っても責められたり批判されたりしない、というのは安心感がある。
それで、面白いのは、思っていたことを言葉にして話していくうちに、頭の中が整理されること。もやもやが少しだけ晴れるような感じだ。

人は言葉を媒介してものを考える。ノートに書きつけるのもよいが、安心感のある環境で他人に聴いてもらうことで、考えがクリアになることもある。

前回のブログで、心を病んだ人が芸術活動を通じて回復していく映画の話を書いたが、似たような感覚というか。言葉にして誰かに聞いてもらうことで、ほんらい自分に備わっている自己治癒の力が引き出される・・・そんな体験だった。

カウンセラーは「うっかりカウンセラー」でブロガーの雨野千晴(あめのちはれ)さん。カウンセリングの終わりに私の似顔絵を描いてくださった。

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イケメンに描いていただきました。
ありがとうございます。

■うっかり女子でも大丈夫(雨野千晴さんのブログ)
http://ameblo.jp/nobiroukun/

2016年12月19日 (月)

映画「ニーゼと光のアトリエ」


精神医療に、絵を描く・造形といった創作活動を取り入れた20世紀のブラジルの女性医師を題材にした作品。

精神疾患の治療に電気ショック、ロボトミー手術(脳の外科的切除)が幅を利かせていた時代。社会に適合できず心を病んだ人は精神病院に収容されていたわけだが、病院とは名ばかり、強制収容所と呼ぶのがふさわしい劣悪な環境が作品では描かれている。医療従事者による患者への暴力も横行。「どうせやつらは変わらない」という絶望が支配している荒み切った院内だ。

そんな中赴任したニーゼ医師は、患者ではなく顧客(クライアント)と呼びなさい、と看護師に指示。廃墟同然の作業室を整理し、クライアントが創作活動を行うためのアトリエにするのだ。庭では犬も飼うようにした。クライアントは筆を持ち、粘土に向き合うようになる。暴力的だったり、生気を失ったりしていたクライアントに人間らしい豊かな表情が戻ってきた。このように創作活動は、彼ら彼女らの中にあった「自ら回復しようとする力」を引き出したのであった。

芸術療法と呼ばれるこの取り組みは行動療法の先駆けだったようだ。海外では、精神疾患を得た人を支援しながら地域に包摂することが普及しているようだが、日本では1年以上も精神病院に入院しているひとが20万人もいるという。「社会的入院」という措置だ。

経済や効率に貢献できない人は脱落者として排除する。そういう論理は、日本社会で徹底している。それは精神医療でもそうで、容赦なく切り捨てられる。なんと冷たいことだろう。だが、その矛先は常に私たちにも向けられていて、社会の仕組みを疑うこともせず、脱落することを恐れて必死でしがみついている。

しかしそうしなくても社会を作ることはできる、というほのかな希望を感じさせる作品だ。17日から公開中。

■映画公式サイト
http://maru-movie.com/nise.html

2016年12月16日 (金)

ゴミ情報サイトに泣く

日曜から風邪で寝込んでいた。久しぶりに39度近い高熱が出て、今も少しだるい。病院では「ウイルス性の風邪だろう」と診断されたが、たぶんインフルエンザだろう。

ところでインフルエンザのときに風呂には入るなとか言われるが、高熱で寝汗をかいて気持ちが悪いので汗を流したい。風呂に入るべきか否か・・・。「インフルエンザあるある」だが、ネットで「インフルエンザ 風呂」と検索すると、広告誘導目的の情報サイトが出るわ出るわ。

これらは記事の出所や出典がはっきりせず、執筆者やサイト運営者の情報も載っていないものが多い。こういうゴミみたいな情報サイト(そもそも広告誘導が目的だから記事やサイトのクオリティは二の次なのだろうが)の情報は、参考にできない。

参考になったのは、医療従事者が監修したと思われるサイト(記述や運営者情報が比較的しっかりしていた)と質問サイトでの記事だったが、これらの記事が他のゴミ情報サイトに埋もれて見つけづらいのだ。

それにしても、こういったゴミ情報サイトの記事は、クラウドソーシングで募集してライターが1文字1円とかあり得ない単価で書いているんだろうか。だとしたら書いてる本人も身にならないだろうし、何よりウェブ利用者が迷惑する。

1文字1円のゴミ記事を書くくらいだったら、普通にバイトするほうが稼げるのではないか。いくらなんでも仕事は選ぶべきだろう。

2016年12月 7日 (水)

マイナンバーは提供していません

取引先様から、マイナンバーの提供を求める書類が相次いで届いた。

私はマイナンバー制度については必要だと思っていないし、個人情報が漏れる危険性もあるのではないか・・・と思っているので、今のところ提供を控える考えだ。

そして、ここは大事なところだが、マイナンバーの不提供にともなう罰則はない。

もっとも今後、もし不提供への罰則が付与され、あるいは行政サービスを受けられないなどの不利益が制度化されたら、そのときは仕方ないのでしぶしぶ提供することになろうが・・・。

それにしても、制度の施行で事業者は従業員や取引先に番号の提供を求め、その管理や漏えい対策をしなければならなくなったのだから、事業者にとってはいい迷惑ではないだろうか。

そしてほくそ笑んでいるのは政府だろう。自分の手を汚さず、カンタンに個人情報の把握が出来るようになったのだから。

しかしかくいう私も、書面に「番号の提供が義務化されました」と書かれているのを見たときはびびった。

提出しないとどんな不利益があるんだろう・・・。
取引先との関係が切れてしまうのでは・・・。

無言の圧力がまかり通る世の中になってしまった。

しかし、嘆いていても仕方がない。
マイナンバー制度について問題提起するサイト、ウェブ記事、ブログをリストアップしたので、同制度を考える際の参考にしてみてほしい。

■共通番号いらないネット(市民グループ。Q&Aなどを掲載)
http://www.bango-iranai.net/

■マイナンバー「受け取り拒否」しても問題なし!こんな「政府のための制度」がいらない理由(現代ビジネス)
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/46119

■マイナンバーの通知カード受け取りは「義務」ではない!?(日刊SPA!)
http://nikkan-spa.jp/987579

■ある会社からマイナンバーの提出を求められたので拒否しました。罰則も不利益もない(ぼくにも会社にも)(ブログ・珍妙雑記帖)
http://hazamamakoto.blogspot.jp/2016/06/no-my-number.html

2016年12月 2日 (金)

二度読む読書

読み終わって「面白かったな〜」と感じる本は、二度目に読んでも面白い。

一度目は話の展開が楽しく、二度目は「何が面白かったのか」を反芻しながら読む。再発見があるのだ。

『ナリワイをつくる』(伊藤洋志著、東京書籍)は最初に読んだ時、お金のためにあくせく仕事するのは「人生を盗まれている」という指摘になるほどと思った。

それでこの本は、自分で起こす小さな仕事=ナリワイの作り方について論じている。二度目に読むと、単なる小商いのノウハウではなく、生活を豊かにすることに力点を置いていることが分かる。

仕事に時間を取られすぎると日々の生活がおろそかになる。例えば食事は外食や出来合いのものが増えてくる。一概にそれらは否定できないしすべきでもないが、外食や惣菜ばかりで済ませていればお金がかさむ。仕事のストレスを発散するためにお金を払って娯楽を楽しむ。買い物でストレスを発散する。等々。

それはまるでサービスを買うために働いているようなもので、言ってみれば「企業の思う壺」だ。仕事は生活のためだったはずだが、犠牲にした生活を消費で埋め合わせるために「働かされる」。

これが「人生を盗まれている」状態だ。ここを読み違って、金を稼ぐことに目を奪われると多分ナリワイはうまく回らない。ナリワイ力をつけるのに即効性はない。消費任せの人生を少しずつ時間をかけて取り戻すのが早道、と私は読み取ったがどうだろう。

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