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2017年5月21日 (日)

「土地に杭は打たれても」立川・砂川闘争の現地を歩く

日本の敗戦後、東京・立川に米軍が進駐してきた。旧陸軍飛行場を接収してできたのが米軍立川基地。今のJR立川駅北口付近から昭和記念公園一帯が米空軍の基地だった。ちなみに立川のイケアとかはもろに基地跡地に建っている。

その基地を南北につらぬく滑走路の北側を拡張する米軍の計画に対して、砂川一帯(当時は砂川町)の住民が町ぐるみで阻止すべく決起したのが「砂川闘争」だ。今から62年前、1955年のことである。

日本国憲法の国民主権と平和主義にのっとり、非暴力に徹した反対運動に、警官隊は警棒を打ち下ろした。流血もいとわない国のやり方に国民の批判が集中。米軍は結局、拡張計画を断念し、横田基地に移転していった。

今日21日、当時を知る住民や市民が主催する現地見学会に行ってきた。小金井からは近くはないが、自転車でも行ける距離(だいたい50分くらい)。そんな場所で、歴史的な反基地運動が繰り広げられた。もちろん知識としては知っていたが、これまで現場をつぶさに見たことはなかった。

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国有地との境を示す防衛施設庁の標柱。今も19本が残る。基地拡張にむけた測量のため、国が杭を打ったなごりだ。

国が買収した土地はグラウンドなどに利用されているが、虫食い的に点在していて、地域全体で土地の利用や整備の計画を立てるのが難しいという。

一方、当時の面影を残す畑地もある。麦が青々と育っていた。元々この地は荒れ野だったが、江戸初期に玉川上水が開通。そこから分水した砂川用水を利用して農地の開拓が行われたのがこの一帯だった。

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荒れ野を豊かな田畑、牧草地にするのにかかった時間は約300年。かつて敗戦までは国の軍用地取得に住民は逆らえず、横柄な軍人のふるまいにも耐えていたという。

そして日本が戦争に敗れ、ようやく平和と民主主義の時代がやってきたと思ったら、国はその土地を「基地拡張」の一言で住民から召し上げようとした。苦労して育てた伝来の土地を奪われるのには納得できない。町が一丸となって拡張に反対したのにはそうした背景があった。

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立川基地跡地の旧滑走路にクサビが刺さったような三角形の土地がある。米軍移転後に住民に返還されたもので、現在は果樹畑だ。進駐した米軍は一帯をブルドーザーで整地して滑走路を造成。これに住民が「土地を返せ」と交渉し、住民の所有地であると米軍に認めさせた経緯がある。

そして明け渡しを求める裁判で、国との「和解」により土地は返還。これでもし住民が勝訴すれば、基地内の民有地の返還を認める先例となったはずで、そうなれば沖縄をはじめ、今ある米軍基地の存続そのものにも少なくない影響を与えたことだろう。

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滑走路跡の路面には米軍時代のペイントが残っている。

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旧砂川町役場跡には砂川学習館が建つ。ここには砂川闘争を記念した絵や当時の資料が展示されている。5月とは思えない炎天下の中、現地を1日歩いて、砂川闘争の歴史を肌身で感じることができた。

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