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2017年6月 2日 (金)

お金から「自由」になった人の境地――『魂の退社』(稲垣えみ子著)

図書館でリクエストしてから半年待ってようやく借りられた本。著者は元朝日新聞記者で、論説委員や編集委員まで務めた。著書で本人は謙遜しているが、キャリアを重ねてきたエリート記者といって差し支えないだろう。面白くかつ興味深かったので二度読みした。

トレードマークは、記者という堅い仕事にはいささかミスマッチなもじゃもじゃのアフロヘア―。アフロにしてから人にモテるようになったという。つまりは他人との垣根が下がったのだが、これが著者には「会社に依存しなくても人は生きていけるのでは?」との気付きのひとつになったのだそうだ。

アフロの話はさておき、大企業に勤めて高給を得るという「人もうらやむ」境遇にあって著者は、派手な消費を満喫する一方でこう考えた。このさき会社に依存したまま定年を迎えて、激減した収入を憂いるだけの老人になるのは嫌だ。社内の出世競争に敗れた時、それにわが身が耐えられるとも思えない・・・。

本書を読むと新聞記者の世界も壮絶なものがあると感じる。長時間の拘束、仕事ぶりの評価へのプレッシャー、同期が先に出世し、後輩の記者に追い抜かれる屈辱感、などなど。私も業界紙記者を逃げるようにして辞めたが、軟弱な私が3か月で音を上げたのもある意味当然のことだったなあ・・・と変なところで納得してしまった。

さて、にわか金満生活を「このままでは行き詰まる」と自省した著者は、香川への転勤などをきっかけに「お金を使わなくても幸せに生きられる」よう自己改造に着手する。有り余るモノに囲まれた今、「ある」ではなく「ない」ことの中に豊かさがある、と著者は気づく。

そして3・11と東電原発事故をへて、「電気があるのが当たり前」ではなく「電気はない(のが当たり前)」と視点をひっくり返し、少しずつ家電を手放していく。すると、それで不便ということはなく、それでも何とかなってしまった。「家電を手放して何とかなったように、会社を手放しても何とかなるのでは」。それで著者は50才を迎えて本当に会社をやめた。

著者が会社を辞めるまで、そして会社を辞めてから気づいた一連のことは、いわゆる「ダウンシフト」や「ナリワイ」と大きく重なる。経済成長と大量消費が行き詰まった今、会社でやりがいのある仕事ができる保証は限りなく低くなっている。この認識は鋭い。

会社は自分を成長させてもくれるけど、いつかは会社を卒業しなければならない。会社は一人の人間として生きていく力を身に着ける修業の場であって依存対象ではない、と著者は考えている。これも、ごく真っ当な認識だろう。

では人はなぜ安定を求めて会社で働くのかというと、結局のところそれは金に支配されやすい人間の弱さのゆえだ。しかし著者は、「お金は追い求めると逃げていくが、お金のことなどどうでもよくなると、お金の方から近寄ってくる」と言う。

この気づきは面白い。お金から自由になるとは、蓄財ではなく、生き抜く力を身に着けるということだ。つまりそれは家事をしたり世間話をしたり家の修繕ができたりとか、全く違う業種に好奇心を持って飛び込んで行ったり。それらをフットワークも軽く出来ているとき、人はお金から自由になっている。

ここに本書の普遍性がある。エリートのダウンシフトという限定した話ではない。人生とは、ロールプレイングゲームで主人公が経験値を高めていくように、いろいろ経験して生き抜く力を身に着けることなのだ。

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