映画

2017年2月18日 (土)

3・11当時に感じたことを思い出させてくれる映画「サバイバルファミリー」

映画「サバイバルファミリー」(矢口史靖監督)を観てきた。

■公式サイト
http://www.survivalfamily.jp/

■予告編


「すべての電気が止まった世界」で、家族が都市を脱出する道行きを描いている。

電気が止まって浄水場が停止しているので水道が使えない。ペットボトルの水が1本2500円というボッタクリ価格で売られている。都市で水と食料は減っていく。「とりあえず地方に行けば水や食料があるはずだ」。それでも停電直後からしばらく、人々は律儀に会社に通うのである。


観ていて3・11のころを思い出した。あの時、店頭からペットボトルの水が消えた。東京電力福島第一原発が立て続けに爆発。東京も危ないんじゃないかと感じて、東海道新幹線に乗るために東京駅へ向かったが、その電車にはスーツ姿の人も多かった。

「都市って実はリスクが大きいんじゃないか」。実は去年、契約記者で働いていた時もふとそんなことを思った。大地震が起きたり放射能が拡散したりしても、会社が機能している内は逃げられないのかも知れないな・・・。

逃げる当てがあればまだいい。作品中のこんなセリフが心に突き刺さる。「帰る田舎がない奴は、どうすればいいんだよ!」


例えば地方移住のコツのひとつに「いろいろな土地に行ってみて、できれば何度も通う」というのがある。

でも、例えば給料が安くて、なかなか休みも取れない人にそれはハードルが高い。移住はやっぱり「金と時間がある人」が有利だ。3・11後も基本的にそこは変わっていない。金とヒマがない人にとって、移住はなかば「無理ゲー」のようなものだ。


さて作品に出てくる家族は鹿児島をめざして旅に出る。いきなり「地方移住」に投げ込まれたその道中もまた無理ゲーというかサバイバルの連続だ。けれども矢口作品の人を見るまなざしは優しいので、そこには笑いもある。とくに、便利さに溺れていた家族が、道中をへて一人ひとりカッコよくなっていく様子がすてきだ。

説教くささゼロなのにいろいろ考えさせられる、面白い作品だ。

2016年12月19日 (月)

映画「ニーゼと光のアトリエ」


精神医療に、絵を描く・造形といった創作活動を取り入れた20世紀のブラジルの女性医師を題材にした作品。

精神疾患の治療に電気ショック、ロボトミー手術(脳の外科的切除)が幅を利かせていた時代。社会に適合できず心を病んだ人は精神病院に収容されていたわけだが、病院とは名ばかり、強制収容所と呼ぶのがふさわしい劣悪な環境が作品では描かれている。医療従事者による患者への暴力も横行。「どうせやつらは変わらない」という絶望が支配している荒み切った院内だ。

そんな中赴任したニーゼ医師は、患者ではなく顧客(クライアント)と呼びなさい、と看護師に指示。廃墟同然の作業室を整理し、クライアントが創作活動を行うためのアトリエにするのだ。庭では犬も飼うようにした。クライアントは筆を持ち、粘土に向き合うようになる。暴力的だったり、生気を失ったりしていたクライアントに人間らしい豊かな表情が戻ってきた。このように創作活動は、彼ら彼女らの中にあった「自ら回復しようとする力」を引き出したのであった。

芸術療法と呼ばれるこの取り組みは行動療法の先駆けだったようだ。海外では、精神疾患を得た人を支援しながら地域に包摂することが普及しているようだが、日本では1年以上も精神病院に入院しているひとが20万人もいるという。「社会的入院」という措置だ。

経済や効率に貢献できない人は脱落者として排除する。そういう論理は、日本社会で徹底している。それは精神医療でもそうで、容赦なく切り捨てられる。なんと冷たいことだろう。だが、その矛先は常に私たちにも向けられていて、社会の仕組みを疑うこともせず、脱落することを恐れて必死でしがみついている。

しかしそうしなくても社会を作ることはできる、というほのかな希望を感じさせる作品だ。17日から公開中。

■映画公式サイト
http://maru-movie.com/nise.html

2016年10月 3日 (月)

『君の名は。』は夢なき21世紀の『耳をすませば』なのかも知れない

大人気の長編アニメ映画『君の名は。』を立川で観る。連日満員のこの作品。今日は運動会の振替休日なのか、小学生がやたらめったら多い。

わたしの感想だが、「絵はきれいだけど、ストーリーが現実離れしすぎていて入り込めないな~」という感じ。並行世界の筋立ては面白いけれども、突飛すぎて理解を超えてしまう。それでも2時間を飽きさせず見せる話運びの巧みさ。

いったい何がこの映画の魅力なんだろう? よくわからない。あんまり青春映画を見ないから、比較の対象が乏しいせいもある。しかし、現実の風景を舞台に若者のカップルが登場する長編アニメには先例がある。

今から20年ほど前の公開で、聖蹟桜ヶ丘が舞台の『耳をすませば』は、中学生の男女が未来を信じて夢を求める作品だったが、都心と飛騨を往復する『君の名は。』に出てくる若者は、現実に対して非常に冷めている。その現実の閉塞感をこじ開けるのには、強力な装置(並行世界など)が必要だった。

この作品には『耳をすませば』のような、閉塞感が取り払われるカタルシス、閉塞感を乗り越える意志の強さはない。現実の変わらなさを前に生きる登場人物の立ち位置は、『耳をすませば』との大きな違いだろう。これは、ち密な風景作画とともに、現実離れしたストーリーに現実味を与える力となっている。

登場人物はパサパサした日常と現実の中を、流されて生きるように見えた。夢に向かって目的意識的に生きようとする『耳をすませば』の主人公とは、この点で決定的に異なる。流されて生きる中でも、充実を感じる瞬間はあるのだろうか。あるとすれば――。

そんな投げかけが、ひょっとしたら作品の中に込められているかもしれない。と、このブログ記事を書きながら思った。

2016年2月12日 (金)

想田和弘監督と考えるTPP

今日発売の雑誌「週刊金曜日」で、映画監督の想田和弘さんへのインタビュー記事を掲載いただいた。テーマはズバリ「TPP」。

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※週刊金曜日2月12日号 特集「TPPで日本は地獄」
http://www.kinyobi.co.jp/tokushu/001923.php

今月20日に観察映画の最新作『牡蠣工場(かきこうば)』が公開されるが、映画の舞台となった瀬戸内の風景から、人とモノの動きがグローバリズムで加速する今について、監督と考えてみた、という趣向である。
書店でお求めいただければ幸いだ。

監督が観察した岡山県牛窓(うしまど)は瀬戸内海に面した漁村。
江戸時代は朝鮮通信使の寄港地でもあり栄えた。
独自に発展を遂げた土地柄か、近代に入っても鉄道駅が誘致されることはなかった。
それでひなびた街並みが残っているのだとか。

近代から距離を置いた土地だからこそ、今、近代の来し方行く末も見えるのかも知れない。

朝鮮通信使といえば昨年秋、私は自転車で走る「新朝鮮通信使」に取材を兼ねて参加した。下関から大阪まではフェリーで移動し、夜の瀬戸内海を航行。上関、鞆の浦、牛窓。かつての朝鮮通信使の寄港地はどれも寝ている間に通過してしまったのが心残りだ。

2016年1月14日 (木)

観察映画の面白さ

想田和弘監督の最新作となるドキュメンタリー映画「牡蠣工場(かきこうば)」が2月下旬に公開される。

想田監督といえば「観察映画」。
観察映画とは、当たり前の演出手法として定着しているナレーションや効果音、CGなどを一切行わないだけでなく、目の前で起きていることを虚心坦懐に「観察」する姿勢に徹していることが特徴だ。

リサーチや打ち合わせ、台本はなし。だから予定調和はない。でもこれは商業作品としては野心的というか実験的な試みである。

観客は得てして作品に何がしかの納得やカタルシス、オチを期待するものだが、それは予定調和の物語をつくり手と観客が共有して初めて成り立つ。

無論、そういう作品が一般的だし、そうして作られた素晴らしい作品はあまたある。物語が一般的にいけないのではなくて、物語の世界観を共有することは映画の楽しみだ。

ところが観察映画はそうではないので、フツーの映画を見る感覚で見てしまうと裏切られる。
早い話、見始めてすぐ眠くなる。
一見、観察映画は淡々とした映像が流れているだけだからだ。

だから観察映画は昼食後とか飲酒後とか、疲れきっている時に見ることを私はおすすめしない。十分に睡眠を取って心身を健康に保ち、例えば昼食後の際には昼寝した後に見ることをすすめる。

そうして十分にコンディションを整え、「さあ、この作品は何を観察したのだろう?」と自らの観察眼を起動することが重要なのだ。そうした眼で観察映画を見始めると、そこには日常の中に見落としがちな、いろいろな気付きが詰まっていることがわかる。そうした「気付き」の発見が、観察映画の「面白さ」といえる。

例えば過去の作品「選挙2」には、東電原発事故後まもない選挙なのに、誰も候補者が原発事故や被ばくについて正面から語ろうとしない。その違和感がしっかりと記録されていた。

無論、映像の編集過程には監督の主観が介在し、しかも映像における観察の視点は監督の視点であることはまぬかれない。つまり観察と言っても、純粋に客観的な視点というものはあり得ないということを、観客は理解することができるだろう。

とはいえ、それでも目の前の現実を余計な演出なしにありのままに見せようという姿勢は極めて公平である。それだけに、監督の観察の視点もまた鋭いということができる。

決して一般受けする作品ではないし、観客の観察眼が起動しないかぎりひたすら退屈な作品とも言えるが、映像と編集そのものは洗練されている。とりわけ「牡蠣工場」は瀬戸内海の漁村の美しさが印象深かった。

2014年6月 7日 (土)

映画「イザイホウ」(1969年)

「喜多見と狛江の映画祭+α」で観てきました。

沖縄・久高島で12年に1度行われ、1978年を最後に途絶えた神事「イザイホー」の記録映画。

久高島は沖縄本島南部の沖5キロに浮かぶ細長くて平らな小島。ここは琉球の始祖の島、「神の島」として今も敬われているのだが、琉球王朝時代は王朝との関係も深く、島の男は唐船の船頭、船乗りに取り立てられたり、あるいは漁に出たりして、島は主にその妻らが守ってきた。

しかも島の土地は共有制で、女が割り当てられた土地で畑作をしている。
男は船旅でなかなか帰らず、漁に出かけたが嵐で遭難して戻らず・・・ということが多かったという。
イザイホーは島の女が「神女」になる神事で、本祭は4日間通して行われる。

映画はその様子を中心に、土地共有制度や島の暮らしぶりを記録。
映像だけでは神事の意味の全てを理解するのは難しいが、厳しい生活の中で、女たちが信仰をよりどころに島を守る=島で生きるための重要な儀式だった、ということは伝わってくる。
あと、自然の力の流れと母性とが共振する様子も、映像に記録されていると感じた。
撮影は1966年。

2014年5月31日 (土)

映画「WOOD JOB!(ウッジョブ!)」を観る

「ロボジー」以外の矢口作品は観ていたので、林業をテーマにどんな映画になるのか、と以前から期待。

染谷将太演じる、里山とは全く縁がない若者が1年間、国の「緑の雇用」制度(映画では「緑の研修生」になっているが)を使って林業現場で働く。そして彼をとりまく個性たっぷりな里山の人々。

森で働く人々が自然を畏れ敬い暮らしている姿。
自然に向き合う中で作られた、強固な地域のコミュニティ(しがらみ)。
危険だが、一方でITを使った作業の革新も進んできている林業現場。
中山間地と林業の今を、矢口監督流の「軽さ」でさらっと見せてくれる。

そんな中でも一番よかったのは、自然の中で暮らす人々が、人知を超えた「山の力」をどこかで意識して生きていることを、ちゃんと描いている所。

人知の及ばない存在を意識するところから生まれる「畏れ」や「敬い」を核に生きている人々と、そうではない人々とは背負っているしがらみ、タブーがはっきり異なるということを、さらっとした軽さの中にしっかりと埋め込んである。

都会と中山間地の対比、マネー資本主義と里山資本主義の対比は、人々の精神のありようの対比でもあるわけだけど、そこをしっかりと描いているのが、この作品の見どころだと思う。

今日、立川シネマシティで観たら、午前の回だったこともあると思うけど、上映2週目なのに観客がまばらで心配だ。
普通に面白い作品なので、観ないのは本当にもったいない!

2010年7月31日 (土)

佐々木昭一郎「四季・ユートピアノ」を観る

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昨日はユーロスペースで「四季・ユートピアノ」を観た。TV放送以来だから・・・20年以上ぶり。

佐々木昭一郎の映像美が全く古びておらず、新鮮。最初に見た時は流れるような映像詩を楽しんでいるうちにエンディングとなったが、今回はストーリーも味わいながら観ることができた。

四季・ユートピアノ」の底流にあるのは、戦争世代の深い心の傷と、その子供たちによる和解と再生だ。苦難に満ちた榮子は痛みを抱きしめながら微笑をたやさない。

美しいが唐突な映像の散文は一つひとつ意味をもっているが、一度にその全てを理解するのはほとんど不可能。けれども、そのことが逆にストーリーに対する多様な解釈を許容し、観る側の想像力をふくらませる効果を持っている。

「四季~」と前後する佐々木作品は、テーマと映像美、そして主演の中尾幸世の三位一体がほとんど奇蹟とも思える世界を形作っている。どれが欠けても佐々木ワールドは成立しない。戦後昭和のニッポンの風景に、幻のように立ち昇ったファンタジーだ。

昭和の黄昏という時代性と女優の稀有な力、そして演出が共鳴する一回起性の映像体験。それゆえ、佐々木昭一郎の一連の作品に並ぶ物は後にも先にもない。

<上映後に中尾幸世さんご本人が登場。美人だったが、やはり榮子とは別人。思い出は遠くにありて思うもの、か。

インタビューは当時のエピソードを中心に進行したが、作品のテーマや時代背景などについての質問がなかったのは残念。もっと深いところにフォーカスしないと、佐々木作品の稀有さに迫ることは出来ないが、インタビュアーは中尾さんにひれ伏してしまっていて、とてもそれどころではなかったようだ。

中尾さんの後は佐々木氏が登場。おお、あの作品を作ったのはこの人か。プロダクションを立ち上げて、来年には新作を発表したいという。

ロビーで佐々木氏にサインをもらい握手をお願いするが、なんと佐々木氏、私との握手の後でズボンで手を拭くではないか(笑)。おれの手、そんなに脂っぽかったか。けれどもその割にはしっかりと握手してくださったのが印象的だった。

それにしても、観終わって一晩たっているのにまだ熱に浮かされたような余韻が残っている。「四季・ユートピアノ」はみごとな作品だ。
(ツイートより)

2009年1月22日 (木)

映画「精神」のこと

昨年10月に雑誌「週刊金曜日」にて、映画「キチガイの一日」のレビューと、山本監督(と出演の吉沢氏)へのインタビューをまとめた記事を書きました。

その後、毎日新聞にもこの映画が取り上げられ、「静かなるロングラン」は続いているようです。

この「キチガイの一日」の舞台となった岡山の精神科診療所「こらーる岡山」で起こる、通院者を中心に繰り広げられる人間模様に肉薄し、赤裸々に映像化した力作が、今年初夏に上映されます。

観察映画「選挙」で全世界の注目を浴びた、ニューヨーク在住の想田和弘監督の最新作、「精神」です。

【公式サイト】

昨日、プレス向け試写会に行きましたが、とても重く、後を引く映画でした。
「精神」が照射するわたしたちの日常について、考えさせられずにはおれません。

公開前なので詳しくは語れませんが、私もこのブログや、他の何らかのメディアを通じて、この映画が持つ力について発信していく予定です。

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