読書

2017年6月12日 (月)

見落とされる公助――『貧困クライシス』(藤田孝典著)

副題は「国民総『最底辺』社会」、帯キャッチは「もう誰も逃げられない 貧困が貧困を生む衝撃の現実」。おしっこをちびってしまいそうな迫力だ。

しかしこれらの言葉がハッタリや単なる脅し文句でないことは、本書を読めばすぐにわかる。所得の減少と雇用の不安定化で進んだ中流家庭の貧困化。長時間労働で疲れ切っているのに収入は増えない。家賃や外食費、医療費がかさみ、年金の支払いもままならない(低所得者には免除制度があるが、知らない人も多い)。

定年を迎えても生活費のために働き続ける人がいる。また、現役時代に貯金して老後に備えていた人でも、離婚や病気などをきっかけに貧困に転落していく。生活能力や近所づきあいなどを犠牲にして働いてきたために孤独におちいる人もいる。

全く救われない話だが、これらは個人の努力だけではどうにもならない、という点がポイントだ。『魂の退社』では「会社は卒業すべきもの」と説いている。それができる人はそうすればいい。セルフブランディングして自立して食べていければ、それもいい。しかし会社で働くしかない人もいる。

ごく単純に言えば、会社で働いて生計を立てている人を支える社会基盤が揺らいでいるのだ。自助努力は大事だとしても、それは責任の半分に過ぎない。社会として一人一人の生活をどう支えるのか、という問題意識が今の日本では弱いのではないか。本書を読んで強く思う。

例えば高い家賃を払わなくて済むよう、空き家の活用や家賃補助などが必要だろう。そもそも公的に住宅を保障するしくみが極めて弱い(公営住宅の抽選倍率を見よ!)。自己責任(自助)だけ問題にしても、結局は社会全体が疲弊し沈んでいくに違いないし、現に今そうなっているではないか。

社会保障の原資は税金だ。「貧すれば窮す」というが、安心がなければ自助もしようがない。誰もが安心して暮らせるような社会は自助やイノベーションの前提だ。そういう社会的合意がつくられていく必要がある、と思った。

2017年6月 2日 (金)

お金から「自由」になった人の境地――『魂の退社』(稲垣えみ子著)

図書館でリクエストしてから半年待ってようやく借りられた本。著者は元朝日新聞記者で、論説委員や編集委員まで務めた。著書で本人は謙遜しているが、キャリアを重ねてきたエリート記者といって差し支えないだろう。面白くかつ興味深かったので二度読みした。

トレードマークは、記者という堅い仕事にはいささかミスマッチなもじゃもじゃのアフロヘア―。アフロにしてから人にモテるようになったという。つまりは他人との垣根が下がったのだが、これが著者には「会社に依存しなくても人は生きていけるのでは?」との気付きのひとつになったのだそうだ。

アフロの話はさておき、大企業に勤めて高給を得るという「人もうらやむ」境遇にあって著者は、派手な消費を満喫する一方でこう考えた。このさき会社に依存したまま定年を迎えて、激減した収入を憂いるだけの老人になるのは嫌だ。社内の出世競争に敗れた時、それにわが身が耐えられるとも思えない・・・。

本書を読むと新聞記者の世界も壮絶なものがあると感じる。長時間の拘束、仕事ぶりの評価へのプレッシャー、同期が先に出世し、後輩の記者に追い抜かれる屈辱感、などなど。私も業界紙記者を逃げるようにして辞めたが、軟弱な私が3か月で音を上げたのもある意味当然のことだったなあ・・・と変なところで納得してしまった。

さて、にわか金満生活を「このままでは行き詰まる」と自省した著者は、香川への転勤などをきっかけに「お金を使わなくても幸せに生きられる」よう自己改造に着手する。有り余るモノに囲まれた今、「ある」ではなく「ない」ことの中に豊かさがある、と著者は気づく。

そして3・11と東電原発事故をへて、「電気があるのが当たり前」ではなく「電気はない(のが当たり前)」と視点をひっくり返し、少しずつ家電を手放していく。すると、それで不便ということはなく、それでも何とかなってしまった。「家電を手放して何とかなったように、会社を手放しても何とかなるのでは」。それで著者は50才を迎えて本当に会社をやめた。

著者が会社を辞めるまで、そして会社を辞めてから気づいた一連のことは、いわゆる「ダウンシフト」や「ナリワイ」と大きく重なる。経済成長と大量消費が行き詰まった今、会社でやりがいのある仕事ができる保証は限りなく低くなっている。この認識は鋭い。

会社は自分を成長させてもくれるけど、いつかは会社を卒業しなければならない。会社は一人の人間として生きていく力を身に着ける修業の場であって依存対象ではない、と著者は考えている。これも、ごく真っ当な認識だろう。

では人はなぜ安定を求めて会社で働くのかというと、結局のところそれは金に支配されやすい人間の弱さのゆえだ。しかし著者は、「お金は追い求めると逃げていくが、お金のことなどどうでもよくなると、お金の方から近寄ってくる」と言う。

この気づきは面白い。お金から自由になるとは、蓄財ではなく、生き抜く力を身に着けるということだ。つまりそれは家事をしたり世間話をしたり家の修繕ができたりとか、全く違う業種に好奇心を持って飛び込んで行ったり。それらをフットワークも軽く出来ているとき、人はお金から自由になっている。

ここに本書の普遍性がある。エリートのダウンシフトという限定した話ではない。人生とは、ロールプレイングゲームで主人公が経験値を高めていくように、いろいろ経験して生き抜く力を身に着けることなのだ。

2016年12月 2日 (金)

二度読む読書

読み終わって「面白かったな〜」と感じる本は、二度目に読んでも面白い。

一度目は話の展開が楽しく、二度目は「何が面白かったのか」を反芻しながら読む。再発見があるのだ。

『ナリワイをつくる』(伊藤洋志著、東京書籍)は最初に読んだ時、お金のためにあくせく仕事するのは「人生を盗まれている」という指摘になるほどと思った。

それでこの本は、自分で起こす小さな仕事=ナリワイの作り方について論じている。二度目に読むと、単なる小商いのノウハウではなく、生活を豊かにすることに力点を置いていることが分かる。

仕事に時間を取られすぎると日々の生活がおろそかになる。例えば食事は外食や出来合いのものが増えてくる。一概にそれらは否定できないしすべきでもないが、外食や惣菜ばかりで済ませていればお金がかさむ。仕事のストレスを発散するためにお金を払って娯楽を楽しむ。買い物でストレスを発散する。等々。

それはまるでサービスを買うために働いているようなもので、言ってみれば「企業の思う壺」だ。仕事は生活のためだったはずだが、犠牲にした生活を消費で埋め合わせるために「働かされる」。

これが「人生を盗まれている」状態だ。ここを読み違って、金を稼ぐことに目を奪われると多分ナリワイはうまく回らない。ナリワイ力をつけるのに即効性はない。消費任せの人生を少しずつ時間をかけて取り戻すのが早道、と私は読み取ったがどうだろう。

2016年11月24日 (木)

読書『しないことリスト』(pha著)

体調を崩して10月で会社をやめたわけだが、振り返ればかなりハードな日々だった。

仕事自体の忙しさもだが(ネタ出しと締切のプレッシャー)、毎朝の通勤ラッシュがきつかった。しかも職場が都心のビル街だったので、窓の外を見てもひたすらオフィスビルが広がるばかりで気分がささくれる。そしてとどめは「ハズレ上司」・・・。

フリーランスから(フリーの仕事も並行して続けていたが)久しぶりの会社勤めは、知らず知らずのうちに心身をすり減らしていたようだ。

ようやく会社勤めから解放された、と思っても頑張りがきかない。意欲がわかない。家の中で「もう仕事したくないよ〜」と何度も口走り、パートナーを大いに不安にさせた。このままフリーの仕事を諦めるしかないか・・・と追い詰められた。

しかしそれは、会社をやめてようやく人間らしい感情が戻ってきたということだ。しんどいが回復のプロセスを歩んでいるわけで、その点は希望である。仕事は週3日位、しかも9時から5時までのフルタイムではなく、かなり緩く働いている。

しかも時間に余裕があるので、本を読んだり近所の温泉に行ったりたっぷり睡眠を取ったりしている。そうしている内に少しずつ気力が戻ってきた。そして読む本も、なるべく働かない、頑張らない、辛いことから逃げる、そんなテーマを選ぶようにしている。『しないことリスト』(pha著、大和書房)もその一つだ。

「ずっと途切れなく活発に活動していると、疲れたり無理が溜まったりして潰れてしまうから、定期的かつ強制的に休む時期があるのがよい」(75頁)

著者は「だるい」が口癖とのことで、他人ではなく自分のペースで生きるためには「しなくてもいいこと」をやめるといい、と本書で説く。努力もそうだ。社会学的な視点を持てば、個人の努力ではどうにもならない事もあるとわかる。

しんどくなったら努力はやめていいのだ。とはいえ今もまだしんどい日々だが、こういう視点を持てたのは良かった。

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